他人の成功が自分の失敗に感じる時

「おめでとう!」が心から言えない瞬間ってありませんか?
そして、そんな自分はなんてダメなんだろうと劣等感や自己嫌悪に陥ったり、、、
研究の成功
試験の合格
昇進・栄転
結婚
子供の誕生
・・・・
誰かの「成功」を知ったとき、心がざらっとする。
他人の人生と自分の人生は全く違うのに、誰かが「成功」すると、
たとえ自分になにも変化がなくても、急に「失敗」の烙印を押された気がしてしまう。
なんだか「遅れている」気がしてしまう
「正しい道」を歩けていない気がしてしまう
マウントをとられているような気がしてしまう
そう思ってしまう自分の性格悪い気がしてしまう
特に、近しい誰かであるほど、そう感じる傾向が強いかもしれません。
(ときに全く関わりのない、芸能人のニュースに心がざわめいたりもするけどさ。)
他人と比べないなんて無理じゃない?

他人と比べても意味がないよ。自分の過去と比べようよ!
とは言われるものの、
いやでもあなた、あの人の方が優秀って思ってますよね??
とか思っちゃったりしてさ。
うらやましいなって思う気持ちはとめられないものです。
かくいう私は、ポンコツ界隈を生きてきたので、自分と人を比べてしまって、
ずーっと心がざらざらしてきたけど、実は、今は、ちょっとさらさらになりました。
さらさらになった私の考え方で、ざらざらすることに疲れてしまった人の心が、
少しでも軽くなるといいなと思って書いてみます。
ざらざらするのって頑張っている証なんだよね

心がざらざらしたその時は、
他人の成功を素直に祝えないなんて自分の性格悪いわ
って思いがちですが、そんなことはなかったりします。
自分がそこに向かって熱量を注いでいればいるほど、
焦りや羨望が生まれて、摩擦が生じてしまうのです。
そこに向かってなにも努力してないときは、素直にお祝いできたりするんですよ!
ざらざらするってことは、それくらい自分が頑張っているんだな。
とまず認めてあげてほしいです。
ざらつくくらい頑張れてるあなたはすごいのです!
自分の持ち物を忘れてるかも

成功を目の当たりにしたときに、
急にそのことだけにスポットライトがあたってしまって、
今、自分が手にしているものを忘れてしまいがちです。
持っているものって、無くさないと意識できなかったりしますよね。
たとえば、口内炎ができたとき、急に痛みを感じずに食べれることがすごく幸せに感じたりする。
私は、恥ずかしながら、
歳を重ねるごとに身体のガタガタしだして、
身体がガタガタしないことは、どんなにありがたいことなんだろう。
とやっと気が付きました。
自分が「持てているもの」に感謝の念が行くと、
ざらっとしてる場合ではなくなったりします。
「生きているということ、、、」
中学校の授業で覚えたあの詩の意味を、あの時は、分かっていなかったのかもしれないなと思います。
心がざらっとしたときに、「当たり前」と思いがちのことにも、気持ちを向けてみたいところです。
「戦いのらせん」から抜け出せ!

私たちは、常に「戦いのらせん」に組み込まれています。
誰かに勝って、上に上ったとしても、まださらに上が続いていきます。
誰かに負けて、下に下がったとしても、まださらに下が続いていきます。
それが「戦いのらせん」です。
戦いのらせんにいる限り、戦いに終わりが来ることはありません。
果たして、私たちはどこまで行けば、満足できるのでしょうか。
そもそも戦いのらせんにいる必要はあるのでしょうか。
「今いる場所が戦いのらせんである」ということも忘れてしまっている人もいると思います。
まずは、自分が戦いのらせんにいることを認識して、
そこにいる意味を感じられなかったら、
思い切って、戦いのらせんを抜け出す意識をもってみてください。
自分は大丈夫とイメージできるようになる

これは教えてもらった方法なのですが、自分が大丈夫だと思えるようになることにも訓練が必要だそうです。
その具体的な方法としては、自己肯定感を具現化したイメージを持つこと。
例えば、自分は黄金のベールに包まれているんだと想像するのだそうです。
自己肯定感が低かった私は、誰かの成功で更にどんどん自己肯定感を下げていました。
そんな時、やみくもに、自己肯定感を高めようとしてもうまくいかないもんです。
意識的に黄金のベール(自己肯定感)に包まれるイメージを持つことで、
外からの攻撃から守られているという意識が生まれて、
下がりに下がってしまった、自己肯定感が安定する気がします。
外からの攻撃と言っても、結局、自分で自分を攻撃しているだけなのですが、
ベールのイメージをもつ時間を設けることで、
あ、今自分を傷つけてしまっているな、、、
と冷静になることもできます。
そーんな馬鹿なと思うかもしれませんが、嘘だと思って試してみてください。
ものごとに良いも悪いもない。ただ、そのように考えるからそうなる。

成功だ!失敗だ!って誰かが勝手に決めている指標だったりします。
その人にとって良いものが、私にとって良いものとは限らない。
小学生のとき、
何度ジャンプしても届かなかった美味しそうなブドウに対して、
「どうせあのブドウは酸っぱかったんだ」って自分を納得させるキツネの話を勉強しました。
どちらかというと、そんな風に思うのはもったいないよねという教育を受けたような気がします。
でもさ、本当に酸っぱかったかもしれないしさ、甘くてもおなか壊してたかもしれないしさ。
あのブドウは甘かったでも、酸っぱかったでも、自分で決めて良いのです。
急に、ものごとに対して、
え?良いも悪いもなく、ただそういう事象があるだけですよね?
私が決めていいんですよね?
って思うのは、結構、無理難題ではあります。
でも、そういう目線をちょっと持つだけでも、私は楽になりました。
心のざらざらは前に進むエネルギーにもなるよ!

今まで書いたことを実践していくことで、私は、誰かの成功に心がざらっとしにくくなりました。
だけど、そもそも、ざらざらすることは悪いことでもなく、
むしろ前に進むエネルギーにだってなるよね。
だから、無理に心をさらさらにする必要もありません。
でも、頑張るあなたが、ざらざらすることに疲れちゃったときに、
この記事を読んで、自分を削りすぎないで、ちょっとでも楽になれますようにと願っています。